説明
1. 作品概要:7匹のパグが描く「家族」という物語
チャールズ・バートン・バーバーの傑作『A Family of Pugs(パグの家族)』は、彼の膨大な作品群の中でも特異な輝きを放つ一枚です。バーバーの代表作の多くは「少女と犬」のように人間との対比で描かれますが、本作は純粋に同一犬種のパグ、それも成犬から子犬まで計7匹が画面いっぱいに集う「家族」そのものを主題としています。
一見すると可愛らしい犬の集合画ですが、注目すべきは「主役」となる一頭が存在しない点です。あえて特定の犬を強調せず、視線や姿勢をバラバラに配置することで、個々の肖像を超えた「共同体(コミュニティ)」としての姿を浮き彫りにしています。ヴィクトリア朝において「家族」は社会の最小単位であり、最も神聖な場所と考えられていました。バーバーはあえて人間を介在させず、犬たちの姿を通して、平和で調和の取れた理想的な家庭の情景を視覚化することに成功したのです。
2. 犬種の背景:王侯貴族に愛された「パグ」の象徴性
本作に描かれているパグという犬種は、当時のイギリスにおいて非常に重要な意味を持っていました。中国を起源とするパグは、18世紀から19世紀にかけてヨーロッパの王侯貴族や上流階級の間で爆発的な人気を誇った愛玩犬です。彼らは牧羊犬や猟犬のように「働く」必要がなく、ただ飼い主に愛され、家庭に癒やしをもたらすことだけを役割としていました。いわば、富と余暇、そして洗練された私生活の象徴だったのです。
特にイギリス王室との縁は深く、ヴィクトリア女王自身も多くのパグを愛育していました。女王にとってパグは、威厳や権力の象徴というよりも、日々の暮らしに安らぎを与える「親密さ」と「情愛」の象徴でした。バーバーがこの作品でパグを選んだのは、単なる流行だからではなく、パグという存在が「労働から解放された穏やかな家庭の幸福」を最も雄弁に語るアイコンだったからに他なりません。当時の人々は、この7匹のパグの姿に、自分たちが理想とする「道徳的で幸福な上流家庭」の姿を重ね合わせて見ていたのです。
3. ヴィクトリア朝の理想:個性の尊重と道徳の継承
この作品を細かく観察すると、同じ犬種・同じ体格でありながら、1匹として同じ表情の犬がいないことに驚かされます。首を傾げるもの、眠たげなもの、好奇心に満ちたものなど、それぞれの「個性」が実に緻密に描き分けられています。これはバーバーの卓越した写実力の証明であると同時に、「家族とは同じ血を分けた集団でありながら、一人ひとりが独立した存在である」という、当時の新しい家族観を反映しているとも読み解けます。
また、成犬から子犬へと続く視線の連なりは、ヴィクトリア朝の人々が最も重視した「道徳と伝統の継承」を象徴しています。バーバーの他の王室関連作品である『Noble』や『Darnley』が忠誠心や品位という「公(おおやけ)の徳」を描いたのに対し、この『A Family of Pugs』は、家族間の情愛という「私(わたくし)の徳」に焦点を当てています。強さや支配ではなく、穏やかな愛によって結ばれたこのパグたちの姿は、100年以上の時を経た現代の私たちにも、家庭という場所の普遍的な尊さを語りかけてくるのです。
作者紹介
Charles Burton Barber(チャールズ・バートン・バーバー)
Charles Burton Barber (Official Animal Painter to the Queen)
生年:1845年、没年:1894年。動物画(特に犬)、子どもを含む家庭的情景「ヴィクトリア女王の公式動物画家」
ヴィクトリア女王が最も愛し、信頼した伝説の宮廷画家
チャールズ・バートン・バーバーは、19世紀後半のイギリスを代表する動物画家・風俗画家です。特に「子供とペット」を組み合わせた情緒的な肖像画で絶大な人気を博し、ヴィクトリア朝時代の家庭の理想像を鮮やかに描き出しました。
■おもな業績と作風
彼の作品の最大の特徴は、動物たちの毛並みや表情を写真のように緻密に捉える高い写実性と、見る者の心を掴むストーリー性にあります。子供たちの無垢な姿と、それに寄り添う犬たちの忠誠心や愛らしさを描いた作品は、当時からカレンダーや広告(レバー・ブラザーズの石鹸広告など)に多用され、大衆文化にも深く浸透しました。代表作には『サスペンス(Suspense)』や『学校へ(Off to School)』などがあり、動物に対する深い洞察と愛情が表現されています。
■英国王室との関係〈ヴィクトリア女王の公式動物画家〉
バーバーはヴィクトリア女王から非常に厚い信頼を寄せられたお抱え絵師の一人でした。「ヴィクトリア女王の公式動物画家(Official Animal Painter to the Queen)」という肩書きは、単なる名誉職以上の、非常に親密で実務的な信頼関係に基づいたものでした。
1. 王室の「家族の一員」としてのペットを描く
ヴィクトリア女王にとって、犬や馬は単なる愛玩動物ではなく、深い愛情を注ぐ「家族」でした。バーバーに与えられた任務は、単にかっこいい姿を描くことではなく、その子自身の性格や、女王との絆を記録することでした。
- 専属の記録係: 女王は新しい犬を飼い始めたり、お気に入りの犬が年老いたりするたびに、バーバーを呼び寄せました。
- 写真以上の温もり: 当時すでに写真は存在していましたが、女王はバーバーの描く「動物の目に宿る感情」や「柔らかい毛並みの質感」を好み、生涯で数十点もの制作を依頼しました。
2. 女王自らが「ディレクター」を務めた
バーバーが城に呼ばれると、女王は忙しい公務の合間を縫って制作現場に現れました。
- 熱心な指示: 女王は非常にこだわりが強く、「この子の足はこの角度で」「この表情をもっと忠実に」と、バーバーの横で細かくポーズの指示を出したと言われています。
- 特別なアトリエ: バーバーはウィンザー城やオズボーン・ハウスの中に、彼専用の作業スペースを与えられていました。これは、彼が「いつでも呼べばすぐに描いてくれる存在」として重用されていた証拠です。
3. 死後の葬儀に「女王の花輪」が届く異例の厚遇
彼が49歳の若さで亡くなった際、ヴィクトリア女王が示した哀悼の意は、お抱え画家に対するものとしては異例でした。
一介の画家が、君主からこれほどまでに個人的な情愛を向けられるのは、当時の階級社会では非常に珍しいことでした。
女王は彼の葬儀に自ら花輪を贈り、「わが愛する友人であり、類まれなる才能を持った画家へ」といった趣旨のメッセージを添えました。









