『真珠の耳飾りの少女』を修復していると、あらためて驚かされるのが画面全体を覆う無数のひび割れです。
これらのひび割れは、専門用語で「クラック」や「クラックル(クラックリュール)」と呼ばれています。
では、なぜ古い油彩画にはこれほど多くのひび割れが生まれるのでしょうか。
実は、その最大の理由は「キャンバスに油彩」という構造そのものと、気の遠くなるような「時間」にあります。
【理由1:油絵の具の「乾燥」と「収縮」】
まず一つ目は、油絵の具が乾燥するプロセスです。
油絵の具は、水彩絵の具のように水分が蒸発して乾くのではありません。空気中の酸素と結びつきながら、ゆっくりと固まっていきます。
しかも、その変化は数年では終わりません。
何十年、時には何百年という長い時間をかけて少しずつ硬化が進み、その過程で絵の具の層はわずかに収縮します。
その小さな収縮が積み重なり、やがて目に見えるひび割れとなって現れるのです。
【理由2:キャンバスの「呼吸」】
二つ目は、土台であるキャンバス(麻布)の存在です。
キャンバスは湿度や温度の変化によって、伸びたり縮んだりを繰り返しています。
人間の皮膚が呼吸するように、キャンバスもまた環境に合わせて絶えず動いているのです。
しかし、その上に乗っている油絵の具はすでに硬く固まっています。
柔らかく動く土台と、硬い絵の具。
このズレが長い年月の中で蓄積し、やがて絵の具の層が耐えきれなくなり、ひび割れを生み出していきます。
【理由3:フェルメール独自の「薄塗り」技法】
さらに『真珠の耳飾りの少女』の場合は、フェルメール独自の技法も関係していると考えられています。
フェルメールは、油を多く含んだ薄い絵の具を何層にも重ねる(グレイジング)ことで、あの独特の透明感や柔らかな光を表現しました。
しかし、その繊細な描き方は層ごとの乾燥速度に差を生みやすく、後年になってひび割れが発生する原因の一つになったとも言われています。
【結論:ひび割れは、作品の「歴史」】
つまり、私たちが今目にしているひび割れは単なる「劣化」ではありません。
フェルメールが選んだ技法、キャンバスという素材、そして400年近い時間。
そのすべてが積み重なって生まれた、作品の歴史そのものとも言えるのです。
修復作業では、

その歴史に敬意を払いながらも、フェルメールが描いた当時の美しさを感じられるよう、一つひとつ丁寧にひび割れと向き合っています。
※本解説は、作品を味わうための一つの見方として構成したものです。 見る方それぞれの経験や感性によって、異なる春の表情が立ち上がることを、ぜひ楽しんでいただければ幸いです。
※画面で見ている色と、実際にプリントした色は、どうしても少し違って見えることがあります。これは、モニターの表示方法やプリント用紙・インクの違いによるものです。その点をご理解のうえ、お楽しみいただければ幸いです。
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